ピーター・S・ビーグル『最後のユニコーン』の新旧の翻訳を比較してみて、気になったところ(その3)

最後のユニコーン (ハヤカワ文庫 FT 11)

最後のユニコーン (ハヤカワ文庫 FT 11)

訳文がかなり違うところの中でも、特に見過ごせないところ

金原訳と比べてみたら、鏡訳はけっこう誤訳があったことに気づいたが、たいていの人は、そのほとんどは特に変だとは思わずに読み過ごしていたのじゃないかな(私はそう)。
前回取り上げた訳文がかなり違うところのうち、ストーリーの流れからしてこれは金原訳のほうでなければいけない、と私が思うのは以下の3ヶ所。


[ハ] 「ぼくたちの間に鉄格子があったときと、まるでちがう。あなたは小さくみえるし、とてもユニコーンには―ああ、何てことだ」 (66P.)
[学] 「檻がなくなると、違うものだね。いまのほうがずっと大きく見える。それに―ああ、すばらしい」 (57p.)
*鏡訳だと、シュメンドリックが、ユニコーンと馬の区別もつかない一般人と大して変わらなくなってしまう。


[ハ] でも、自分の牢獄として、他のいかなるものよりも、この姿を選びたいと思います。 (192―193p.)
[学] けれど、自分で選ぶことができたなら、わたしはこの姿だけは選ばなかった。 (162p.)
*金原訳のほうがヒロインの(主観的な)転落の幅が大きくて、ドラマチックで良い。


[ハ] わたしたちは、赤い牡牛がこわかった。いったい、何ができたというのですか?」
「その問いには、一言で十分だろう」リーア王が答えた。「今となっては、おまえたちには決してわからぬことだ」 (359−360p.)
[学] あたしたちは赤い雄牛が怖くてたまらなかった。いったい、なにができたっていうんです?」
「ひとこと発するだけでも違っていたかもしれないではないか」リーア王はいった。「いまとなっては確かめようもないが」 (299p.)
*鏡訳だと、リーア王にとっては他人事のような感じ。金原訳では、巨大な悪に苦しめられてる者たちがいることを知りながら、自分たちさえ良ければと見て見ぬふりをしてやり過ごそうとした人々への、怒りが感じられる。『最後のユニコーン』は、それが書かれた時代を反映している、というふうに評されることがあるが(鏡明金原瑞人もそんなことを言っていた)、ここは金原訳のほうが60年代っぽい気がする。

おおよその意味は同じだがニュアンスの違うところ


[ハ] ユニコーンは、たったひとりで、ライラックの森に住んでいた。 (7p.)
[学] そのユニコーンライラックの森に住んでいた。雌で、仲間はなく、ひとりで暮らしていた。 (7p.)
・The unicorn lived in a lilac wood, and she lived all alone.


[ハ] 若い娘たちに、気を引かれるんじゃないぞ。彼女たちの成れの果ては、おろかな老女となるに決まっているのだから。 (12p.)
[学] 若い娘たちなんか相手にするな。いずれはおろかな老女になるだけだ。(11p.)


[ハ] 彼女の喜んだ鼻息で、蝶は二十フィートほども吹き飛ばされてしまった。 (23p.)
[学] 興奮して息が荒くなったせいで、蝶を何メートルも先に吹きとばしてしまった。 (21p.)
*原文はfeet。金原訳では、長さは全てメートル表記。


[ハ] ルクが、最後の言葉を生パンのように、ねっとり引き伸ばし、こね回したので、聴いていた人々は、用心しいしい笑った。 (38p.)
[学] わざとらしくもったいをつけたしゃべりかたで、説明を終えた。村人たちは控えめに笑った。 (学33p.)
・He rolled and stretched the last word like dough, and his hearers laughed carefully.


[ハ] 「ああ、真青だ」魔術師はぼそぼそと言った。けれどもユニコーンには、かれが顔を赤らめているのが感じとれた。 (65p.)
[学] 「くそっ」シュメンドリックはつぶやいたが、ユニコーンには、彼がまっ赤になっているのがわかった。 (学57p.)
・”Ah, turn blue,” the magician mumbled, but the unicorn could feel him blushing.


[ハ] 魔術師の表情は、あやうく逃げ出してしまうところだった。けれども、かれはそれをおさえつけ、とてもゆっくりと微笑みはじめた。 (75p.)
[学] 魔術師の顔がうつろになった。が、彼はなんとか表情をとりもどし、笑みをうかべようとした。 (65p.)
・The magician’s face almost got away, but he caught it and began to smile very slowly,


[ハ] いつかおまえも練習が必要になる。収集の対象にされたときにはな (109p.)
[学] おまえもそのうち稽古が必要になるぞ。おまえの演奏が野外録音されるかもしれんからな (93p.)
・You’ll need the practice one day, when you’re field-recorded.


[ハ]まるで自分が見捨てられたサナギのように思えた。(ハ122p.)
[学]蛹の殻になったような気分だった。(学104p.)
・He felt like an abandoned chrysalis.


[ハ] 城は崖の端に位置していた。まるで、緑と黒い岩の上にすりきれたままむき出しで置かれた細い黄色の岸辺に落ちてきたナイフの刃のようだ。 (198p.)
[学] 城は崖の縁ぎりぎりに立っている。崖はナイフのように切りたって、その足元は幅の狭い黄色の海岸になっている。緑と黒の岩にこすられてすり減ったかのような海岸線だ。 (167p.)
*鏡訳には、一度読んだだけではわかりにくい変な文章がたまにある。


[ハ] かれの微笑みは、期待に満ちた小犬のように、かれらの足元にまとわりついてきた。(206p.)
[学] その笑顔は、遊んで遊んでと足元で尻尾を振っている子犬のようだ。 (174p.)


[ハ] ぼくは勇敢であることも、十分に好きだけれども、もしもおまえが、そうした方が良いと考えているなら、もう一度、でれついた臆病者になるよ。 (227p.)
[学] 勇敢な男になるのも嫌いじゃないが、怠け好きの臆病者にもどったほうがいいとおまえが思うなら、そうする。 (191p.)
*鏡訳のほうが、金原訳のよりも普段のリーア王子がボンクラな感じ。


[ハ] その途端―ああ、その途端、ぼくが話している間にあの女(ひと)はどこへ行っていたのか知らないけれども、そこからあの女は我に返った。 (228p.)
[学] それまで上の空だった姫が突然我にかえって、 (192p.)
・Then―ah, then she came back from wherever she goes when I talk to her,


[ハ] 猫ってものは、雄々しい馬鹿の価値を認めるに、やぶさかではないんだ (250p.)
[学] 猫は、勇敢な愚行ってものを賞賛する心を持っているんだぜ (210p.)


[ハ] そのとき、谷間の奥で、鎧が光った。 (278p.)
[学] そのとき、鎧が深い谷底で目配せした。 (232p.)
・Then armor winked deep in the valley,


[ハ] たとえ、あんたが牡牛を、食用ガエルに変えてしまったとしても。 (324―325p.)
[学] たとえ赤い雄牛をウシガエルに変えようともね。 (270p.)
・even if you change the Bull into a bullfrog,


[ハ] シュメンドリックは、自分の眼の前にリーア王子の姿を思い浮かべることなく、最も簡単な魔法すら使うことはできなかった。その目は、光のためにやぶにらみになり、舌を突き出すのだった。 (331p.)
[学] シュメンドリックは、どんなに小さな魔法を操るときも、このときのリーア王子の顔―まぶしそうな目と、口からのぞいた舌先―を思い出さずにはいられなかった。 (275p.)
・he was never able to work the smallest magic without seeing Prince Lir before him, his eyes squinted up because of the britness and his tongue sticking out.
*never〜without …ingの訳としては、金原訳のほうが模範解答かもしれないが、鏡訳のほうが感動的な気がする。


[ハ] アマルシア姫は、しばらくの間、自分自身にしがみついていた。 (333p.)
[学] アマルシア姫はその場に一瞬とどまった。 (276p.)
・ Lady Amalthea clung to herself for a moment more.
*鏡訳のほうが必死な感じ。


[ハ] 牡牛は、再び、そのおどすような、踊るような前進をはじめた。けれども、ユニコーンが、それに対して払った注意からすれば、牡牛はあたかも求愛の踊りをしている鳥のようなものであった。 (338―339p.)
[学] 踊るような動きでじわじわと前進する。その動きは求愛のダンスをする鳥のようだった。ただし、相手のユニコーンはろくに関心を払っていない。 (281p.)


[ハ] 「ごめんなさい、ごめんなさい」 (369p.)
[学] 「ごめん。ごめん」 (307p.)
*金原訳は、シュメンドリックとモリーの、ユニコーンやリーア王子と話すときの口調がちょっと気になった。




*全体に、どちらかと言うと鏡訳のほうがドラマチックというか、芝居がかったような言い回しを使う。金原訳のほうが普通の日本語の言い回しに近い感じ。
#私は『最後のユニコーン』のことをずっと、泣かせると同時にかなり笑える小説だと思っていたが、金原訳のほうが原文に忠実なのだとすると、鏡訳では笑えるところを増幅していたのかな。私としては、鏡訳のほうが好み。