「ダヤン」ミルチャ・エリアーデ、住谷春也・訳(『エリアーデ幻想小説全集・第3巻』作品社)

数学の天才にして、黒い眼帯をしているせいで“ダヤン”と呼ばれる大学生オロベテは、ある日“さまよえるユダヤ人”を名乗る老人に出会う。その老人は、不思議な力を使ってダヤンの左右の目を取り換えてしまうが、そのためにダヤンは秘密警察から目を付けられてしまう。さまよえるユダヤ人は、ダヤンを通常とは異なる時間の流れる世界に導き、ダヤンが研究している、時空と重力を統合し人間を時間から解放する“最終方程式”が完成する日が近いと保証する。だが何も知らない秘密警察の手が及び、ダヤンは捕えられてしまう……。


ほとんどSFであり、救世主(?)の受難劇であり、個人を抑圧する共産主義社会に対する風刺であり…と、様々な読み方が可能な珠玉の短編。私がこれまでに読んだ短編小説のなかで1,2を争う傑作。
1年半ほど前『エリアーデ幻想小説全集』で検索したら、「これで以前借りて読んで衝撃を受けた「ダヤン」を手元に置ける」と喜んでる人が3人くらいいた。


これはルーマニア語版からの翻訳で、以前筑摩書房から出ていた『ダヤン・ゆりの花蔭に』(野村美紀子訳)はドイツ語版とフランス語版からの重訳だが、後者に有って前者に無いセリフがある。
住谷訳

オロベテは改めて振り向き、限りない悲しみのこもった視線を注いだ。老人は微笑みを浮かべて頷いた。(479p.)

野村訳

オロベテはあらためて老人を見返り、量りしれぬ悲哀を湛えた眼でみつめた。
「お答えする資格がわたしにはないんですよ、先生。おわかりでしょう……」
老人は微笑してうなずいた。(108p.)

作者の死後に出たルーマニア語版のほうが決定稿なのかな。