『生ける屍』ピーター・ディキンスン、神鳥統夫・訳(サンリオSF文庫)ネタバレあり

カバー画 角田純男


不気味な表紙や、「国家のあり方」がどうのという解説のせいでシリアスで暗い話かと思ってたけど、けっこう笑える小説だった。


恋人から、「仕事をとったら“生ける屍”にすぎない」と言われるほどのワーカホリックのフォックスは、半分休暇のつもりでカリブ海に浮かぶホッグ島にある製薬会社の研究施設にやってきた。
ある日この国の独裁者である首相とその母が、ネズミを使った実験の見学に来る。首相は新薬に関心を示すが、母のほうはフォックスに興味を持ったようだった。
島で暮らすうちにフォックスは、ほとんどの島民が怪しげな精霊や呪術を信じていることに気づく。反政府ゲリラの呪術に対抗するため、政府も大呪術師(首相の母)を派遣しているほどなのだ。
ある夜、掃除婦の死体がフォックスの管理するネズミの飼育室で発見される。身柄を拘束されたフォックスは、首相から政治犯たちを使った新薬の実験を強要される。しぶしぶ命令に従うフォックスだが、彼には政治犯たちと共に脱出する秘策があった。何しろ彼のポケットには、最強の呪術的アイテムが入っていたのだから……。


この呪術というのが、サンデー小人とかブリジッド女王とかいった怪しげな精霊を信じている人間にしか効かないといううさんくさいもの。呪術を行使する方が信じてるかどうかは関係ない。すなわち、フォックス最強。
島民の呪術的思考に馴染んだフォックスは、掃除婦の死体が飼育室にあった理由が呪術と関わっていることに気づく。
また、この島にはゾンビのような生ける死者の伝説があって

農夫がいた、金持ち、魔術の力もあった。ある晩農夫は、新しく三人の男が埋められたばかりの墓へ行き、供え物をして、祈りの言葉を言う。すると三人とも墓から出てくる。農夫は三人を畑につれて行き働かせる、お金払わない。食べ物も家畜と同じ。ある日農夫のおかみさんケーキ焼いたとき、この三人の死人を見かける。誰か知らなけれど、一生懸命働いているの見てかわいそう思う。それで、ケーキあげる。ケーキには塩入っている。三人は塩の味なめたとたん、自分たちが誰か、思い出した。自分たち死んでること思いだした。三人は家からとび出し、垣根こわして走って行った。(277p.〜278p.)

「生ける屍」だった主人公がとんでもない経験をして(塩をなめて)自分を取り戻す話というふうにも読める。
殺人事件にも主人公の変化にも、この特異な舞台設定が関連しているあたり、よくできている。


この本はSF文庫から出てるが、まったくSFではない。殺人事件が起きるので、一応ミステリーではあるけれど、作者の情熱は奇妙な文化を持った架空の国の創造に向けられているように思われる。